2021年12月4日(土)
開場17:50 開演18:30
国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟 大ホール
指揮 須藤裕也
F.Schubert 交響曲第5番
E.Grieg 組曲 『ホルベアの時代から』
I.Stravinsky 『プルチネルラ』組曲版
演奏会広報のオンラインプラットフォーム 「Orchid」
これまでは、演奏会情報などをチラシでお届けしておりましたが、新たな試みとして、オンライン上にてペーパーレスで情報をお届けします。
公開ページは→こちら
交響曲 変ロ長調/ロゼッティ作曲
Sinfonie in B-dur/ A. Rosetti
組曲「ホルベアの時代から」/ダジャンクール作曲
Suite “Du temps de Holberg”/ F. d’Agincourt
組曲「プルチネルラ」/ペルゴレージ作曲
“Pulcinella”/ G. B. Pergolesi
【概説】
アントーニオ・ロゼッティ(1750頃-1792)は、ボヘミア生まれの作曲家・コントラバス奏者。1773年ごろからエッティンゲン=ヴァラーシュタイン公にコントラバス奏者として仕え、作曲家としても研鑽を積む。この頃にチェコ語名の「アントーニン・レスレル」からイタリア風の名前に改めたとされる。30歳のころにはマインツやアンスバハで自作を演奏して好評を博す。多作家で、管弦楽曲と室内楽曲に特にすぐれた才能を示し、同時代の人々にはハイドンやモーツァルトと並び称されていた2。
この作品はロゼッティの後期の作で3、モーツァルトを思わせる軽やかな雰囲気と、抒情的な旋律が魅力的な交響曲である。ロゼッティのいくつかの作品はモーツァルトに影響を与えたと言われており4、この作品も特に第3楽章がモーツァルトの交響曲第40番のものと非常によく似た雰囲気をもつ。今日に名を残す古典派の作曲家は多くないが、その中にも優れた音楽を書き、当時の聴衆から人気を得た者はいたのだということを感じさせる作品である5。
【楽曲解説】6
小規模の古典的な編成で、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2と弦五部。
第一楽章 ソナタ形式。4小節の導入句ののち、おだやかな第一主題(譜例1)が提示される。低音部が常に高音部の音型を追いかけるのが特徴的。切なげな表情のかわいらしい第二主題(譜例2)は弦楽器に始まる。展開部は五十小節ほどと非常に短い。再現部では第一主題が元の変ロ長調ではなく変ホ長調で現れる。
第二楽章 三部形式。主部は美しい優しい主題(譜例3)とその発展によって構成される。甘くもの悲しい副部の主題(譜例4)は主部の旋律の動きとコントラストをなす。主部の再現は旋律に装飾を伴って行われる。
第三楽章 メヌエット。ト短調の悲劇的なきびしい性格の主部(譜例5)と、ト長調ののどかでみずみずしい中間部(譜例6)との対比が鮮やかである。
第四楽章 ソナタ形式。楽しさの予感を秘めた第一主題(譜例7)ののち、激動の経過部を経てへ長調ののびやかな第二主題(譜例8)が現れる。展開部の材料は第一主題。型通りに再現部が奏され、コーダではなやかに幕を閉じる。
【概説】
フランソワ・ダジャンクール(1684-1758)は、フランスの作曲家。17歳でシテ島の聖マドレーヌ教会のオルガニストに指名され、その後1706年からはノートルダム大聖堂の教会オルガニストを務めた。現存する作品としてはオルガン曲集といくつかのクラヴサンのための組曲が知られている7。《ホルベアの時代から》はそのうちのひとつで、本日演奏するのは後の時代に編曲された弦楽合奏版である8。
作品名にある「ホルベア」は、ノルウェー生まれの作家ルズヴィ・ホルベア(1684-1754)を指す。ベルゲンに生まれたホルベアは、コペンハーゲン大学で哲学・神学を学ぶも中退。その後ヨーロッパを放浪するなかで、啓蒙主義的な思想に触れていった。1706年にはホルベアはパリで貴族の家庭教師として生計をたてており、ダジャンクールとホルベアはこのときに出会ったようだ9。ダジャンクールの出身地であるノルマンディーは、9世紀に北欧からやってきたノルマン人によって植民された土地であり、彼が子供時代を過ごしたルーアンの大聖堂には、ノルマン人を率いてヴァイキングの公国を築いたロロの墓もあった。北欧からやってきた自分と同年生まれの若き思想家に、ダジャンクールは奇妙な縁を感じたにちがいない10。
ホルベアは1716年に祖国に戻り、偽善的な社会を風刺する喜劇『ペーデル・パウルス』を皮切りに、デンマーク語の喜劇を次々と発表した。これらの中には当時設立されたばかりでレパートリーの少なかったデンマーク国立劇場のために書き下ろされたものも多く、彼が「北欧文学の祖」と称されるようになった所以がうかがわれる11。ホルベアの活躍を聞きつけたダジャンクールは、必ずや歴史に名を残すだろう大作家への敬意を、この作品の題名に冠した12。
【楽曲解説】13
前奏曲 フランス風の組曲の形式に倣って前奏曲が置かれるが、当時の通例であった「緩・急」の形ではなく、常にいきいきと進行する、華やかで明るい楽曲である(譜例1)。
サラバンド 当時の組曲の基本的な構成に従い、3拍子の舞曲であるサラバンドが組み込まれている。2拍目に置かれた長い音符の醸し出す厳かな表情は、17世紀末ころから現れた「重いサラバンド(sarabande grave)」の特徴を備えている(譜例2)。
ガヴォットとミュゼット ガヴォットもバロックの組曲の標準的な構成のひとつ。この曲のように、トリオ部分にミュゼットをもつガヴォットもしばしば作曲されていた。ガヴォット部分は通例通り小節半ばのアウフタクトで始まり、2拍子の舞踏のステップに合わせてくるくると音楽が運ばれてゆく(譜例3)。ミュゼットとはもともと17世紀にフランスで流行したバクパイプの一種で、特徴的な長い持続音がこの曲でも再現されている(譜例4)。
アリア ト短調の悲痛な面持ちの旋律(譜例5)が変奏されてゆく。同一組曲内での同主調への一時的な移行や、基本主題の変奏も、この時代の組曲でしばしば用いられた手法。
リゴドン リゴドンは南フランスのプロヴァンス地方に由来する、2拍子の快活な民族舞踏。ここでは三部形式になっている。前後で軽妙な旋律をソロ・ヴァイオリンが飄々と奏で(譜例6)、中間部で哀切な音楽が挿入される(譜例7)。
【概説】
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)は、イタリア生まれの作曲家。ナポリ音楽院で学んだのち、オペラ作曲家として活動した。生前はそれほど注目されていなかったペルゴレージだが、結核のために26歳の若さで亡くなった後、急速に人気が高まった。このことは、後に彼の音楽がバロックから古典への過渡期の作品として評価される土壌を築いたが、しかし一方で、多くの作品が誤って彼の作曲とされてしまうという混乱も生み出した14。
《プルチネルラ》は、ハーグで活躍していたイタリア人指揮者カルロ・リッチョッティ(1681頃-1756)がペルゴレージに作曲を依頼し、1740年に出版した作品である。リッチョッティは当時、オランダの貴族のアマチュア音楽家たちによるコレギウム・ムジクムで指揮をしており、《プルチネルラ》も彼らの内輪の演奏会のために作曲された15。作品名になっている「プルチネルラ」とは、イタリア発祥の即興演劇コンメディア・デッラルタに登場するキャラクターのこと。鷲鼻の黒いマスクに白い外套を着ており、猫背で騙されやすいのが特徴である16。イタリアの風刺喜劇が作品の題材として用いられているのは、おそらくリッチョッティの提案によるものだろう17。
この作品は合奏協奏曲の形式で書かれていて、トロンボーンの原型であるサックバットなどの当時はかなり珍しかった楽器が使われている。作曲当時、サックバットは宗教音楽で用いられる神聖な楽器で、世俗音楽に登場することはほとんどなかった(同時代の例を強いて挙げるとすれば、ウィーンのカペルマイスターだったヨハン・ヨーゼフ・フックスによる室内楽曲に、サックバットが使われるものがある)。当時としては前衛的に響いたにちがいないこうしたペルゴレージの楽器法も、彼が古典派音楽の様式を最も早く示した人物として評価される所以であろう18。
【楽曲解説】19
バロック時代のイタリアで多く作曲されていた室内ソナタ(ソナタ・ダ・カメラ)を想起させる、自由な性格をもつ組曲。
序曲 喜劇の筋をもとにしたこの作品には、フランス風の荘重な序曲ではなく、華やかで生き生きとした序曲が添えられる(譜例1)。
セレナータ 抒情的な旋律(譜例2)が粛々とオーボエに始まり、弦楽器に受け継がれる。
スケルツィーノ-アレグロ-アンダンティーノ スケルツィーノは明るいホモフォニックな舞曲(譜例3)。アレグロでは生き生きとしたリズムにのって、ソロ・ヴァイオリンがにぎやかにカデンツァを繰り広げる(譜例4)。アンダンティーノは高音弦とソロ・ヴァイオリンによって幽玄に奏でられる(譜例5)。
タランテッラ きびきびとした華やかな主題で始まる(譜例6)。タランテッラは南イタリアの町タラントに由来する、テンポの速い6/8拍子の民族舞踊。
トッカータ 祭典用のファンファーレをトランペットが高らかに奏でる(譜例7)。
ガヴォット 甘美な哀愁ただよう主題(譜例8)と第一変奏をオーボエが歌いあげ、第二変奏がフルートとホルンの掛け合いによって展開される。
ヴィーヴォ リズムの変化に富んだ奇抜な音楽。サックバットとコントラバス・ソロが活躍する(譜例9)。
メヌエット 典型的な三部形式で、息の長い広がるような主題(譜例10)をホルンが提示する。コーダで盛り上がりの予感を見せ、アタッカで終曲へ向かう。
終曲 大団円のにぎやかなフィナーレ(譜例11)。
1この曲目解説はフィクションであり、実際の作品および作曲者とは一切関係ありません。要するにほとんど嘘です。「ほんとうの曲目解説」はこちら。
2ロゼッティの来歴は本当。
3嘘。この作品はシューベルトの5番目の交響曲。
4これは本当。モーツァルトの有名なホルン協奏曲は、ロゼッティのホルン協奏曲をモデルにしたのではないかという研究がある。また、ロゼッティのト短調交響曲は、モーツァルトのふたつのト短調交響曲(25番と40番)の間に書かれたものだが、特に40番のほうとよく似ている。
5これに関してはまあその通りではあるが、シューベルトが書いたこの曲とはなんの関係もない。
6楽曲解説に関しては概ね本当。ただし、第三楽章は楽譜にはメヌエットと書かれているが、実際にはスケルツォである。交響曲にスケルツォを用いる手法はベートーヴェン以降に本格化したものなので、「ロゼッティ(ベートーヴェン以前の作曲家)が書いた」と嘘をついている本稿において、この楽章をスケルツォと解釈することはできない。「ほんとうの曲目解説」も参照。
7ここまでのダジャンクールの来歴は本当。
8嘘。《ホルベアの時代から》はグリーグがピアノ独奏用に作曲し、自身で弦楽合奏版を編曲した。
9ホルベアの来歴は本当。ただし、ホルベアとダジャンクールがそこで出会ったというのは嘘。二人が同じ年にパリで暮らしていたのは事実だが、おそらく接点は全く無かっただろう。
10ダジャンクールの出身がノルマンディーなのも、その地の大聖堂にロロの墓があるのも本当。ただし、ダジャンクールとホルベアは会ったこともなければお互いのことを知りもしなかっただろうから、ダジャンクールが奇妙な縁とやらを感じるはずももちろんない。
11ホルベアの偉業は本当。
12嘘。ダジャンクールとホルベアは会ったことも(略)。
13楽曲解説は概ね本当。ただし、バロック時代の組曲の通例に従っているか否かという点は、この作品をバロック時代のものとする嘘をつくか、それともずっと後の時代にグリーグが作曲したものとするかで解釈が大きく異なってくる。「ほんとうの曲目解説」も参照。
14ペルゴレージの来歴は本当。
15嘘。リッチョッティが指揮したコレギウム・ムジクムで演奏されたのは《コンチェルト・アルモニコ》という別の合奏協奏曲で、長らくペルゴレージの作品とされてきたが、実際にはコレギウム・ムジクムのメンバーであったファン・ヴァッセナール伯爵が作曲したものであることが1979年に明らかになった。
16これは本当。
17嘘。《プルチネルラ》はストラヴィンスキーがディアギレフの提案に従い作曲したものなので、リッチョッティが素材を提案したはずがない。
18トロンボーンの原型はたしかにサックバットであるし、サックバットを用いたフックスの室内楽曲が当時としては異例であることも事実だが、そのことはストラヴィンスキーが20世紀に作曲したこの作品とは何の関係もない。だいいち18世紀初頭にトロンボーンのグリッサンドを使う曲なんかを書く作曲家がいたとしたら、それは悪魔に魂を売った狂人か、21世紀の東京でトラックに轢かれて300年前のヨーロッパに転生したクラシックオタクかどちらかである。
19楽曲解説に関しては嘘を言っていないが、取りこぼしている要素はたくさんある。たとえばこの組曲の自由な構成は、ソナタ・ダ・カメラとの関連ではなく20世紀の音楽界における文脈の中で解釈されるべきだし、華々しい序曲もフランス風序曲との対比ではなくディアギレフが主催したバレエの筋や演出と結びつけて捉えられるべきである。「ほんとうの曲目解説」も参照。