ほんとうの曲目解説

 芸術的霊感にみたされた偉大な「作曲家」が産み落とした「作品」の素晴らしさを真摯に味わい、忠実に解釈する。そうした鑑賞態度は令和の時代にあっては少々おおげさな感じもするし、我々は普段もっとカジュアルな態度でクラシックを聞くことも多い。しかし一方で、ある作品が誤った作曲者のものだとされる、いわゆる偽作という現象を目の当たりにすると我々はどこか心にひっかかりを覚えて、ほんとうの作曲者を裏切ってしまったような気持ちになったりするし、また演奏会に足を運ぶときには曲目解説を読んで「予習」をして、これから行われる鑑賞体験の価値をできるだけ高めたいと思ったりもする。こうした心理はやはり「偉大な作品にはそれ相応の態度で向き合わなければ」という、(もしかするとクラシック音楽というジャンルに典型的な)「作品」に対する忠誠がもたらすものだと言えるだろう。
 曲目解説を読む目的のひとつはそうした「予習」という点にもあるのだから、嘘が書いてあってはいけない。ここでは、作曲者と作品に関する事実に簡単に触れておこう。《交響曲第5番》は、シューベルトが1816年に完成させた作品である。同時期に作曲された交響曲第4番が、ベートーヴェンの悲愴な世界観を再現しようと模索した野心あふれる作品であるのに対し、第5番は、モーツァルト風のちいさなこころよい作品となっている。仲間内での音楽会で演奏することが目的だったためか、楽器編成もこじんまりしたものである。
 《ホルベアの時代から》は、1884年、ホルベア生誕200年記念祭のためにグリーグが作曲した組曲。ホルベアと同時代だったクラヴサン作曲家クープランなどのスタイルを意識して、バロックの組曲の構成を取り入れ、古風に仕上げている。
 《プルチネルラ》は、ペルゴレージの未発表のマニュスクリプトを素材とし、ストラヴィンスキーがオーケストレーションとアレンジを施して仕上げた作品。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団で1幕のバレエとして初演され、のちに抜粋されて組曲版が編まれた。バレエの衣装と美術はピカソが担当している。
 これらの作品は、いずれも作曲者が生きたのよりも前の時代の音楽のスタイルを踏襲して作られたものである。さきほどの嘘解説では、これらを模倣先の昔の時代のスタイルに無理やりあてはめて分析したために、辻褄の合わない部分や取りこぼしの部分が多く発生した。《交響曲第5番》をウィーン古典派の文脈において分析したのでは、この作品から醸し出されるロッシーニの風味や、シューベルトの将来の作品を予見させるような個性あふれる箇所は、決して見えてこない。《ホルベアの時代から》をフランスバロックの組曲として解釈するならば、いかにも北欧の空気を感じさせる情感的な旋律、グリーグ特有のきらきらした花火のようなハーモニー、そして、同郷の大作家を称えるという作品の要を見過ごすことになる。《プルチネルラ》は、バロック時代の耳にはとてもなじみのない、ストラヴィンスキーならではの不協和音の妙趣に満ちている。そして何より、彼らがなぜ昔のスタイルで曲を書いたのか、曲のどの部分で昔のスタイルを採用し、どの部分で彼らの時代のスタイルを採用したのか、その選択がなぜ行われたのか、といったことは、彼らの文脈に降り立たなければ明らかにならない。
 作品は結局のところ、それが作られた文脈と切り離して解釈することはできないのである。芸術を語る言説はしばしば、「作品」を固定された、自立した、「それ自体としてあるもの」であるかのように扱ってきたが、実際はそうではない。どのような歴史のなかでその作品が生まれたのか、我々がその作品をどのように受容してきたか、そして現在それがどのように受容されているのかという文脈抜きに、ある作品について考えることはできない。作品概念は、まるっきり自明のものとして我々の前に立ち現れているわけではないのだ。
 音楽作品という概念の非自明性を指摘しようとする際に、しばしば「バッハは『作品』をつくろうとしなかった」ということが引き合いに出される。そのとおり、バロックや古典派の作曲家たちは「作品」という概念を知らなかった。彼らは、礼拝やミサで信仰心を高めたり、貴族の食卓や社交会を彩ったりと、「芸術の外」の目的に対して奉仕するための音楽をせっせと書いた。ほかの何ものにも奉仕するのではない、それ自体として自立した「音楽作品」が書かれるようになったのは、ちょうどベートーヴェンが活躍した18世紀末以降のことである。そういう観点にたつと今回の演奏会の曲目は、「作品」ではなかった時代の音楽を、「作品」を知る時代の作曲家が「作品」に仕立て上げたもの、と言えるかもしれない。
 自立した「作品」概念は、誕生以降しばらく、芸術の創作と受容の場に深く根を下ろした。その結果が、ワーグナーに代表されるような作曲家の精神世界を強烈に表象する芸術作品の創造であったり、あるいは冒頭で述べたような、作品解釈における作曲家への忠誠の遵守であったりする。日本の学校の音楽室に作曲家の肖像画がずらりと飾られていることからも窺えるように、自立した芸術としての作品観と作曲家崇拝は、今現在も我々の音楽実践の根幹に染み付いている。
 しかし一方で、芸術文化の歩みをよく観察すれば、作品の非自明性を示すような動きもまた見られるということに気づくだろう。「作品とはそれほど自明のものなのだろうか?実はそれは、我々が思っているよりも曖昧なものではないか?」という疑いは、たとえば美術の世界ではマルセル・デュシャンによって、音楽の世界ではジョン・ケージによって決定的になり、20世紀の芸術創作を強く動機づけた。また、音楽の受容に目を移せば、録音技術の誕生と進展は、一音も聴き漏らさず作品分析を試みるというかつての「まじめな」聴取のあり方を一変させた。いつでもどこでも音楽を持ち歩き、何かほかのことをしながらBGMとして聞くような、音楽のカジュアルな受容が可能になったのである。
 21世紀を生きる我々は、駅の発車メロディでメンデルスゾーンを耳にし、寝る前のリラックスタイムにモーツァルトを流す一方で、曲目解説に目を落としながらコンサートの開演を待ち、演奏が始まれば身じろぎひとつせずに音楽に耳を澄ませる。「作品」を意識した受容と意識しない受容が入り混じって、我々の音楽文化は新しい局面を迎えつつある。いや、文化というものはもとより常に姿を変えつづけていくものだと言えるかもしれない。いつの時代にもどの場所でも、どんな困難の中でも、人間はさまざまに歌を歌い音を奏でて、暮らしを彩ってきた。文化の硬直は文化の死である。文化の死は人間の心の死である。そうだとしたら我々は、この苦難の時代にあっても、音楽とともに歩んでいかねばなるまい。