special

特別演奏会

2020年7月26日(日)

14:00-15:45(予定)

横浜みなとみらいホール 大ホール(無観客)

指揮 須藤裕也

L.v.Beethoven / 『フィデリオ』序曲

R.Strauss / オーボエ協奏曲

L.v.Beethoven / 交響曲第7番

ライブ配信のアーカイブをこちらからご視聴頂けます。
https://youtu.be/_2EKKhEAq3U

 はじめに少し歴史の話を。
 1809年5月10日、フランス軍が2度目のウィーン包囲をおこなった。砲火からのがれるため、貴族たちはさきだって疎開し、それ以外の者は地下室へとじこもって爆音に耐えた。十二万ものナポレオン軍の進駐、それに伴う軍税、さらには物価の高騰によって、ウィーン市民の生活は破壊された。食糧不足と貧困にあえぐ市民のなかには、ベートーヴェンそのひとの姿もあった。彼はその年の7月、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社にあてた手紙に次のように記している。「このところずっと実に切羽詰まった悲惨な生活をしてきました。…事の全経過は小生の肉体も精神もゆさぶり立てました。…なんという廃墟の如き荒涼たる生活に取りまかれていることでしょう。太鼓の音、大砲の音、あらゆる種類の人生の悲惨ごとのほか何もありません。」(『書簡選集』、214頁)
 翌年になっても、苦しい状況は変わらなかった。自身の作品の上演は3回にとどまった。疲弊しきったウィーンの音楽界では、演奏会すら思うように開けなかったのである。ベートーヴェンは病気がちになり、大作は影をひそめる。「どうやら喉を通るようなパンよりましなものは一度もお目にかかったことがありません。」(同書、226頁)
 天がかの巨匠にあたえた音楽という力はしかし、彼のうちにふたたび立ち上がる力を呼び起こさせたのであった。「芸術は、迫害されれば至るところに避難所を見出すものです。ダイダロスは迷宮に幽閉されたが、それを抜け出して空中に飛翔する翼を発明したではないか。おお、僕もそういう翼を発見するだろう」(同書、310頁)。こうしてベートーヴェンは、芸術によってこの重圧と苦難を克服しようとする。ナポレオン軍の進駐から2年後、1811年の秋のことであった。この折に作曲されたのが、あの朗らかな、踊るような、湧き立つリズムにあふれた、交響曲第7番である。

 さて、時代は飛んで、第二次世界大戦後のベルリンに話を移す。1945年のドイツ降伏直後、ベルリン市民が見た光景は、ただ瓦礫と鉄屑と死体の山であった。ベルリンフィルのコントラバス奏者であったエーリッヒ・ハルトマンは、廃墟と化したベルリンの、いたるところに死体が転がっていたこと、そして町中が悪臭に満ちていたことを記録している。また、指揮者レオ・ボルヒャルトのパートナーであったアンドレアス・フリートリヒは、ベルリンフィルの拠点であったホールが無残に破壊され、瓦礫のなかに死んだ馬が横たわっていた様子を書き残している。終戦後、ドイツにおける音楽の未来は、まったく見通しのつかない状況にあった。
 このことには、当時80歳を超えていたリヒャルト・シュトラウスも消沈していた。ドイツの誇る2000年にわたる文化的遺産が、人間の愚かな残虐性によってことごとく瓦礫と化したことへの深い嘆きが、彼の日記に記されている。
 当時からナチスとの関係を疑われていたシュトラウスだったが、アメリカ占領軍との関係は比較的温かいものだった。特に、シュトラウスの住居の近く、ガルミッシュに駐留していた軍人たちは、この辺りに《薔薇の騎士》や《サロメ》の作曲者が住んでいると知って有頂天になり、しばしばシュトラウスの家を訪ねた。ピッツバーグのオーボエ奏者であったデ・ランシーもそのひとりである。彼の訪問をきっかけに作曲されたのが、モーツァルトの瑞々しさを思わせるような、かのオーボエ協奏曲である。
 この作品の音調における保守性、均整のとれたフレーズとゆたかな和音は、瓦礫の中からドイツ音楽を再構築しようとするシュトラウスの企てなのではないか、といわれる。破壊され、廃墟と化した遺産の中から、それでもかけらを拾いあつめて平穏な日々を再構築する。2楽章中間部が、戦時中に構想された「平和のテーマ」のスケッチの痕跡を残しているという事実は、このことを象徴的に示しているかもしれない。

 困難の時代を、新たな芸術の力を発見することで克服しようとしたベートーヴェンと、おなじく苦難のさなかで、過去の芸術的遺産を再構築して平穏な日々をとりもどそうとしたシュトラウス。めざした方向は違えど、ふたりとも音楽の力によって、荒涼とした社会にひとすじの光を投げかけようとしたのであった。
 さて、最後に《フィデリオ》第2幕の二重唱から抜粋してこの曲目解説を閉じることにしよう。政治犯として捕らえられてしまった夫フロレスタンを救うため、男装してフィデリオとして監獄に潜入するレオノーレを描いたこのオペラは、しばしば自由を掴み取る、解放の象徴として語られることがある。以下は二人の再会のシーンでの二重唱である。

Du (ich) soll(st) gerettet sein;
Die Liebe wird im Bunde
Mit Mute dich (mich) befrein.
〔…〕
Nach unnennbarem Leide
So übergrosse Lust!
〔…〕
O namenlose Freude!
Mein Weib, mein Weib, an meiner Brust!
Du wieder mein, an meiner Brust!
O dank dir, Gott, für diese Lust!

あなたは(わたしは)救われるでしょう。
愛が結託して
勇気とともにあなたを(わたしを)解放するのです。
〔…〕
言葉にできない苦悩のあとに
なんと途方もない悦びが!
〔…〕
おお、言いようのない歓喜!
わが妻、わが妻がこの胸に!
あなたはふたたびわたしの、この胸に!
おお、感謝します、神よ。この悦びに!

【文献表】
小松雄一郎訳編『ベートーヴェン書簡選集 上』1978年、音楽之友社。
芝崎祐典『権力と音楽:アメリカ占領軍政府とドイツ音楽の「復興」』2019年、吉田書店。