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第3回演奏会

2018年11月17日(土)

開場13:00 開演13:30

江戸川区総合文化センター 大ホール

指揮 橘直貴

ピアノ独奏 原島小也可

M.Ravel

道化師の朝の歌

ピアノ協奏曲 ト長調

クープランの墓

バレエ音楽『ダフニスとクロエ』第2組曲

曲目紹介

道化師の朝の歌

 原曲はピアノのための作品で、組曲『鏡』の中の一曲である。組曲中のそれぞれの曲がラヴェルの所属していた芸術家サークル「アパッシュ」のメンバーに献呈され、本作は音楽評論家批評家のカルヴォコレッシに捧げられている。
 ラヴェルの母親はバスク系の家柄に属し、スペイン語が母語だったという説もある。母親へ深い愛情を抱いていた彼は、終生スペインへの憧憬を抱き続けた。組曲中で唯一タイトルがスペイン語で表記されている本作でも、弦楽器によってギターが模倣され、カスタネットがフラメンコ風のリズムを提示する。
 作品はA-B-A-コーダの三部形式。弦楽器の序奏に導かれてエキゾチックな主要主題がオーボエに現れ、次いで全管弦楽で爆発的に奏される。中間部はファゴットの物憂げなモノローグに始まり、気怠げな旋律が展開される。コーダでは主要主題が長調に転じ、一気呵成にクライマックスを迎える。

ピアノ協奏曲 ト長調

 ラヴェルが完成させた作品としては最後から2番目にあたる。本作は一般的な両手ピアノのための協奏曲であるが、『左手のための協奏曲』と並行して作曲された点が興味深い。構成・曲想とも簡潔明瞭で、重厚な『左手』と好対照をなす。前掲のカルヴォコレッシによれば、ラヴェルは本作を「モーツァルトやサンサーンスと同様の美意識で」作曲したという。
 本作を作曲するより前に、ラヴェルは別のピアノ協奏曲の構想を持っていて、その主題の一部が本作に活きているという。未完に終わったそれのタイトルは『サスピアク・バット』。直訳すると「7つで1つ」という意で、バスク地方は7つの領域で構成されることに由来する彼らのスローガンである。ラヴェルが、自らに流れる母方のバスクの血を強く意識していたことの表れであろう。
 第1楽章はゆるやかなソナタ形式で、2つの主題はともに五音音階で構成されるが出自は異なる。第1主題はピッコロが提示するバスク風の主題である。第2主題はピアノによって提示され、ジャズの風味を感じさせる。
 第2楽章は3拍子の旋律と6拍子の伴奏のポリリズムになっており、どこか地に足のつかない印象を与える。長いピアノ独奏で主題が提示されたのち、木管楽器に断片的な旋律が現れ、コーラングレに冒頭の主題が回帰する。
 第3楽章はピアノと管楽器の名人芸が交錯する、息をつかせぬ急速なフィナーレである。ラヴェルらしい華やかなオーケストレーションが繰り広げられ、華やかに幕を閉じる。

クープランの墓

 原題にある « tombeau » は直訳すると「墓」なのだが、バロック音楽においては追悼曲を指し、それに沿うと本作の邦題は『クープランを偲んで』とでもなるだろう。しかし、実際のところ本作はクープランの作品と直接な関係はなく、作曲者にクープランを追悼する意図があったわけでもない。本作は1914年から1917年にかけて作曲されたが、これは第一次世界大戦の時期と重なる。本作で追悼されているのは、大戦で命を落としたラヴェルの友人たちである。彼は、不幸な友たちに捧げる作品を書くにあたってバロック音楽へのオマージュという形をとり、それを示すためにクープランを引き合いに出したにすぎないのである。ラヴェルの擬古趣味の一端である。
 『道化師の朝の歌』と同じく、ピアノ曲からのアレンジである。原曲は6つの小曲から構成されるが、管弦楽へ編曲されるにあたって2曲が除かれ、順序も変更された。以下の解説は管弦楽版の構成に従う。
 第1曲『プレリュード』は16分音符による無窮動な旋律が全曲を支配する。第2曲『フォルラーヌ』は2度音程のハーモニーと付点リズムが印象深い幻惑的な楽章。不協和音が多用される主部と平明な和音で書かれた中間部の対比が巧みである。第3曲『メヌエット』は、古今数多あるメヌエットの中でも最大の傑作であり、筆舌に尽くしがたい美しさを湛えている。ただただその世界を味わわれたい。終曲の『リゴドン』は快活でリズミカル。中間部では幾分速度が落ち、オーボエによる歌が奏でられる。

バレエ音楽 『ダフニスとクロエ』 第2組曲

 20世紀のバレエ史に名を残したプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフの依頼によって書かれたバレエ音楽。古代ギリシャの詩人ロンゴスによる物語を下敷きに、少年と少女の間に芽生えた恋の行方を描くバレエである。本日演奏する第2組曲は、バレエの後半部分をそのまま抜粋したもの。
 本作において、ラヴェルはリズムよりも旋律に重きを置いている。第2組曲のみではわかりづらいが、全曲を通して聴くと、少数の動機を繰り返し展開することで全体が緊密な構成をとっていることがわかる。本作を「舞踏交響曲」と形容したラヴェル自身の言葉にもその性格がよく表れている。このため本作はバレエ的でないとしてディアギレフの不興を買い、今日でもバレエとしてよりコンサートでの上演が多い。
 第2組曲は3つの部分からなる。『夜明け』では、絶え間ないせせらぎの上に幅の広い旋律が流れていく。ラヴェルの風景描写として白眉といって過言ではない、感動的な音楽である。『パントマイム』は愛し合うダフニスとクロエによる無言劇の場面である。再会を果たした二人が牧神パンの恋の思い出を演じる。長大なフルートソロがパンの笛を表している。二人は愛を誓い、これを祝福して『全員の踊り』が踊られる。クラリネットに現れた旋律が次第に発展し、全管弦楽で熱狂的に奏されて幕が切れる。

 以上に簡単な曲目解説を並べてみましたが、これらの作品を書いたモーリス・ラヴェルとはどのような人だったのでしょうか。
 まず一般的には、オーケストレーションの巧みさが評価されています。「管弦楽の魔術師」という二つ名があり、ストラヴィンスキーもラヴェルの精緻な書法を「スイスの時計職人」と評しました。なるほど確かに、ラヴェルの楽器法は鮮やかな色彩に彩られており、聴く人を飽きさせません。ピアノ曲から管弦楽への編曲が多いのも彼の特徴でしょう。『道化師の朝の歌』や『クープランの墓』、『亡き王女のためのパヴァーヌ』など自作のアレンジのほか、ムソルグスキーの『展覧会の絵』もラヴェルによる管弦楽編曲版が広く知られています。これらの編曲作品はまるで最初から管弦楽のために書かれたかのように自然に聴くことができます。これも彼の巧みなオーケストレーションがなせる業でしょう。
 彼の作品は、彼が生きた時代と密接に関連しています。『道化師の朝の歌』の項で、彼が所属していた「アパッシュ」に触れました。アパッシュとはごろつき、チンピラといった意ですが、彼らはその名の通り前衛的な芸術家集団でした。人間のグロテスクさやエロティシズムを否定せず、むしろそこに美を見出そうとしたのです。『道化師の朝の歌』には、好色家だとか伊達男という含みがあるとも言われます。この見方に沿うならば、ラヴェルの書いた本作はさしづめ『伊達男の朝帰りの歌』という趣になりましょう。
 『ダフニスとクロエ』が初演されたのは1912年。同じくディアギレフと共働していたストラヴィンスキーに目を向けてみると、1910年に『火の鳥』、翌年に『ペトルーシュカ』、1913年には『春の祭典』が初演されています。『春の祭典』初演は音楽史に残る大スキャンダルとなりました。クラシック音楽が動揺していた真っただ中にあって、ラヴェルは『ダフニスとクロエ』にて動機展開による構成美を主張したのです。
 『ダフニスとクロエ』初演の翌年には第一次世界大戦が勃発しました。『クープランの墓』がこの大戦にまつわる作品であることは先に述べたとおりですが、この未曽有の惨事をラヴェルのアイデンティティという視点からとらえなおすこともできます。
 ラヴェルは、自分の出自に対して強烈な愛着を抱いていました。祖国フランスに対しては言うまでもありません。彼の愛国心は第一次大戦をきっかけに発露します。彼は空軍パイロットに志願したものの叶わず、野戦病院のトラック運転手として従軍しました。任務は過酷なものだったそうです。友人を奪い彼自身の健康をも蝕んだこの戦争は、同時期に見舞われた母の死とともにラヴェルの心に暗い影を落としたのです。
 フランスという祖国とともに、母方の故郷であるバスクやスペインに対しても彼の思い入れは並々ならぬものがありました。バスク風のピアノ協奏曲を構想していたことや、ラヴェルがスペインに対してあこがれを抱き続けたことはすでに述べたとおりです。ラヴェルの創作においてスペインは重要なテーマであり、『道化師の朝の歌』や『ピアノ協奏曲』以外にも、『スペイン狂詩曲』『ボレロ』などの作品にスペインの文化への深い愛情が表れています。
 当団の活動の中心となるのは作曲家縛りのプログラムです。我々にとって、少なくともこのような団体を立ち上げた私にとって、一つの演奏会とは個々の曲を超えて、作曲家の人格そのものを表現する手段です。本日演奏する4曲は、以上に述べたようなラヴェルの為人、生き様を凝縮した取り合わせだと確信しています。皆様が今日の演奏会でラヴェルという「人」を感じていただけること、加えてこの拙文がその一助となること、この両方を願ってやみません。
(発起人・代表 伊賀友郁)