2018年2月18日(日)
開場19:20 開演19:40
三鷹市芸術文化センター 風のホール
指揮 大森悠
W.A.Mozart
交響曲第35番 ニ長調 「ハフナー」
交響曲第41番 ハ長調 「ジュピター」
Beseeltes Ensemble Tokyo第2回演奏会はモーツァルトの作曲時期の異なる2曲の交響曲をお届けする。本日、最初に演奏する交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」は、モーツァルトがウィーンに移住し、フリーの作曲家になったころの作品である。一方、演奏会の後半で演奏する交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」は、オペラ『ドン・ジョバンニ』K.527や交響曲第40番ト短調K.550をはじめとする傑作を数多く世に送り出した晩年の作品である。両者の間には、作曲時期が違うことはもちろん、作曲の経緯、曲の構成、主題の扱いにいたるまで多くの違いがある。本日は、2つの交響曲の様々な違いに着目して演奏をお楽しみいただきたい。
まずは、交響曲の生い立ちついて述べることにしよう。交響曲は、オペラの序曲(シンフォニア)を演奏会用に独立して演奏したものが起源であるといわれている。急-緩-急の構成を持った序曲が、次第にソナタ形式の複数の楽章を持つ交響曲へと発展していったと考えられている。モーツァルトが生きた18世紀後半は、交響曲というジャンルの地位が確立されていった時代であった。“交響曲の父”と呼ばれたJ.ハイドンを旗艦に私たちが良く知る交響曲が作られた時代である。その後、ベートヴェンが交響曲の地位を確固たるものとし、ショスタコーヴィチにいたるまで交響曲は時代に合わせて更に発展していった。
さて、古典派の交響曲というと、ソナタ形式―緩徐楽章―メヌエット―ソナタ形式(ロンド形式の場合もある)の4楽章からなる印象が強いだろう。また、誤解を恐れずにいえば、モーツァルトの作品を含む初期の古典派の交響曲は、セレナーデのような性質を持っているといえる。当時、音楽は宮廷におけるBGM用に作曲されるものが多く、聴き心地の良いものが好まれた。それゆえにハイドンやモーツァルトの作品には、長調で書かれた作品が圧倒的に多い。本日、最初に演奏する交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(以後ハフナーと称する)は、モーツァルト自身によるセレナーデの改作であり、特にセレナーデの性質が強い作品となっている。弦楽器が主体のオーケストレーションや、頻繁に見られる装飾音符のような室内楽的な要素にその面影を見ることができる。モーツァルトは、1782年7月にジークムント2世が貴族に列せられたことを記念して6楽章からなるセレナーデを作曲し、ハフナー家に献呈した。後に、モーツァルトは自分の演奏会(1)でこの曲を演奏しようと考え、冒頭の行進曲および2つあったメヌエットのうち1つを削り、フルートとクラリネット(2)を両端楽章に加え4楽章構成の交響曲とした。セレナーデを起源としているため、後期の作品と比較すると短く簡素な作品ではあるが、いきなりニ長調の輝かしい主題をTuttiで奏する冒頭(譜例1)をはじめ、全曲にわたって新鮮で心躍る音楽に満ち溢れている。いたるところで巧妙な和音の扱いが光るほか、第1楽章と第4楽章では主題を対位法的に扱うことで、より曲を立体的なものとしている。第4楽章の第1主題(譜例2)は、当時モーツァルトが精力的に取り組んでいたオペラ『後宮からの逃亡』K.384のアリアから引用されたものであり、モーツァルト自身が「この楽章はできる限り速く演奏されなければならない」という言葉を残している。
一方で、交響曲41番ハ長調K.551「ジュピター」(以後ジュピターと称する)はハイドンにより交響曲の形が確立された後の作品である。副題は、本作品の荘厳さと輝かしさに感銘を受けたザロモン(3)がローマ神話の主神ユーピテル(Jupiter)(4)から取ったといわれている。古典派の交響曲の最高傑作の1つであるとともに、ハフナーと比べ圧倒的に洗練され交響的となっているオーケストレーションや各主題の性格を明確にわけていることなど、より進歩したロマン派的な要素を多く含む作品である。加えて、同じAndanteでありながら、ハフナーの第2楽章がどこかムード音楽のような軽やかさをまとっているのに対し、ジュピターのそれは本格的な緩徐楽章の体をなしている。
ジュピターといわれると、真っ先に第4楽章のあの音型を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。ジュピター音型(譜例3)と呼ばれるこの音型はC-D-F-Eの4音で構成される。この音型は交響曲第1番で既に見られるものであり、偶然にもモーツァルトの交響曲の最初と最後を飾るものとなっている。本作品では、第3楽章のトリオにも、第4楽章を予兆するかのようにジュピター音型が登場する。第4楽章は輝かしく壮大な世界が広がる素晴らしい作品であるが、やはり一番のクライマックスは終結部の大フーガであろう。ジュピター音型と第2主題(譜例4)に加え、2つのモチーフ(譜例5、譜例6)を交えた多重フーガによる高揚は何にも変え難い。R.シュトラウス(5)は「ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聴いた時、私は天にいるかの思いがした」と語ったと伝えられている。
モーツァルトというと明るくシンプル、といった印象をお持ちの方も多いことと思う。しかし、細部に耳を傾けていただきたい。非常に暗く、激しい響きがする部分が多数存在するのである。また、長調の心地よい流れの中に悲しげな和音が登場することも頻繁にある。モーツァルトの存命当時は、短三和音でさえ不協和音といわれた時代であった。より発展した音楽を聴き慣れた私たちが何気なく聴き流してしまう和音や半音階も、当時の聴衆から見ればとても斬新なものであったはずである。当時の聴衆になったつもりでモーツァルトの和音の妙をお楽しみいただきたい。
さて、もう1点着目していただきたいことがある。主題やモチーフのキャラクター付けである。古典派の時代では、ソナタ形式の第1主題を男性的主題、第2主題を女性的主題と呼んだ。これは、第1主題に力強いものが多く、第2主題がそれと対比するように柔らかく優しいものが多いことに起因する。モーツァルトはそれだけに留まらず、主題やモチーフ(譜例7)にオペラで培ってきた手法を生かした巧妙なキャラクター付けを施している。後期ロマン派において、各登場人物に固有のモチーフを与えるライトモチーフの手法により、登場人物の登場や、性格、感情を効果的に表現する手法が台頭したが、モーツァルトはそれに近い効果を古典派の時代において実現している。また、先に述べた和音の扱いにも通じるが、オペラのような迫真的な情景描写が随所にみられることも特筆に価するだろう。このような主題およびモチーフのキャラクターや情景描写にも注目して演奏をお聴きいただけると面白いのではないだろうか。
末筆となるが、モーツァルトの作品は、心が弾むような喜びが魅力であると筆者は考える。だからこそ恐怖や怒りといった感情が映えるのではないだろうか。非常に人間的で素敵な作品であると思う。本日の演奏を通して少しでも多くの皆様に笑顔がお届けできれば幸いである。
(小林 研二)
(1) 作曲家たちは生計を立てるため、個人の演奏会を催すことがあった
(2) 当時、クラリネットやフルートはオーケストラでは珍しい楽器であった。
(3) J.P.ザロモン(1745-1815) ドイツのヴァイオリン奏者。ハイドンをロンドンへ招いたことでも知られている。
(4) ギリシャ神話の最高神ゼウスと同義とすることもある。
(5) R.シュトラウス(1864-1949) ドイツ後期ロマン派を代表する作曲家・指揮者。モーツァルトを敬愛していたことは広く知られている。